モグラ

 
言い訳はもうできない。
 
自ら、音楽を「アソビ」として行うことを放棄した。
仲間を手放した。
どんなことがあっても、音楽をやめない。
例え嫌いになったとしても、音楽をやめない。
幼少期から、その刃物を多分持っていたのだと思う。
次第にソレは具現化し、ことあるごとにその切っ先に触れ、
その矛先を向ける場所を探していたのだと思う。
大袈裟じゃなく、これはそういう話だ。
 
 
僕は、二十一歳になっていた。
 
灰色の工場で、鉄の塊を運ぶ。
同じ場所を行ったりきたり。
神様なんてものがもしいるとしたら、このサマを見てどう思うのだろう。
「あれ、こんなつもりで作ったっけ?」
「よくわかんないものを、よくわかんないものを使って、よくわかんない動きだなあ」
「ちょっと前に見にきたときは、まだまともだったのに。また、失敗か」
呆れられた。大丈夫だよ。これが全てじゃないから。ちゃんと人間やってるよ。
 
「アキミチ、あのさ」
同僚の声で僕の尊い対話は終わった。やっと休憩か。
「俺、結婚することになったんよ。やで、結婚式きて欲しいんやけど。」
死ぬほどどうでもいいわ。
「まじで?おめでとう。OK いくいく」
人の幸福に花を添えて何が楽しいんだ。僕にはこの灰色の工場と一部を除くここにいる人間に対して愛情がない。それでもまだ、化けの皮をかぶっている。「普通」の人間の所作はそれなりに心得ているつもりだ。
 
誰にも見えない場所で、ため息をついた。生活のために仕事は必要だ。だけどこの時間は僕にとって必要とは思えない。無駄無駄無駄無駄。邪魔邪魔邪魔邪魔。
 
時計は悪魔だ。願えば願うほどその望みとは真逆の動きをする。はやくうごけ、と思ったらゆっくり。ゆっくり動けと思ったらはやく。といったように。
 
仕事が終わり、そそくさと車に乗って自宅へ。遅番だから道は空いている。僕には「カノジョ」ができていた。
ルナのバイト先の後輩で、年は三つ下。そうなった時、ルナは戸惑い否定的な見方をしたが、それもしばらく経つと落ち着いてくれた。カノジョは僕のアパートに時折きていた。今日はその日だった。
 
「おかえり」
何事も、繰り返せば日常になる。特に深い意味はない。ただいま、といって風呂に入る。テレビをみる。たまに酒を呑んで、たまにセックスして。そんな感じだ。とまあ今日はそんなことはなかった。今日は事件が起きる日だったのだ。
 
時刻は深夜二時を回ったあたりだろうか、チャイムがなった。
時間も時間だ。少々不気味である。
よく友人知人の溜まり場になっているので、そのうちの誰かだろうとは思うけれど、それにしてもこの時間だ。事前に連絡くらいはするものではないだろうか。まあ、自分の知人に「常識」を求めるのは些か荷が重い、といったような人間関係ではあった。
 
特に警戒もせず鍵を開けた。そこには見知らぬ中肉中背の男。なんか、こう、モグラみたいな顔をしてる。モグラと呼ぼう。
いや、そんな余裕はなかった。モグラはドアを開けるなり僕に詰め寄って罵声を浴びせてきた。手こそ使わないものの、額を僕の額にぶつけて、言葉を繰り出してくる。およそ、こんな感じだ。
「お前、なめとんけ?」「やんのか?」「先なぐれや」「早よせえや」
嘘であって欲しいところだが本当の話だ。
このモグラ、相当酔っている。寝起きだというのに、見知らぬ男の罵声と口臭。僕の脳内回路は原始人に少し近づいた。気づいた瞬間僕は、その男の何倍もの声量で怒鳴り返していた。
モグラは、一切怯むことなく気味の悪い笑みを浮かべてる。彼がふと自分の頬を指で掻いた。その拳を見て、僕の血の気は引いた。
モグラの手の甲にはおびただしい古傷。僕はこれを知っている。これは、人や物を殴ってできる傷だ。もちろん僕なんかにはない。ないんだけど中学のやんちゃな友人の手にはこれがあった。いや、だけど。比べ物にならない。比べ物にならないほどこの男のソレは、まがまがしいオーラを放っていた。
 
僕は、相当まずいことをしてしまったのではないだろうか。
 
血の気は引くどころかどこかへ行ってしまった。
 
「ええ度胸してるやんけ。ちょっとこい」
 
その頃、僕の怒鳴り声で目を覚ましたのか、心配したカノジョがドアを開け出てきた。
 
「おまえもこい」
 
カノジョは、一体何が起きているのか分からない。そんな顔をしている。大丈夫。僕も分からない。
 
とにかく僕らは、この後、人生で初めての経験を味わうことになる。
それは「監禁」。この物語は「バンド」の話だが、それ以前に「僕」の話でもある。
 
少しくらいは付き合ってもらおう。