レオナルド、と呼ぶべきらしい。

MS 5:00-8:00
PN 15:00-24:00
81.0kg(-1.7kg)
15:00 ナムル/しらす、キムチ、ツナの冷奴
26:00 ウインナー/えび/牛タン/ピーマン/にくだんご

朝、まだキャッチボールは続いている。
僕にとっては良い習慣となっている。だが、彼にとってはどうなんだろう。
付き合わせてるだけではないか?という疑念が、回を増すごとに少しずつ薄れていく。
今日僕らがいつもの公園にいくと、そこには誰かが花火をした後のゴミが散乱している。今日のあつしは一味違った。
「なんかゴミありますね。」と言い車からコンビニ袋を取りに行き、ゴミを片付けたのだ。(僕は、というとトイレに行っていてその現場を見逃した。)
些細なこと。本当に些細なことだけど、僕はこの出来事は特別なことだと思う。
ゴミを捨てる人間と、拾う人間がいる。

正直、僕の周りにも当たり前のようにタバコや空き缶などをポイ捨てする人間がいる。僕は特にその行動を見ても否定をしない。ただ、自分も一緒になって捨てる事は、今は絶対にない。(昔は僕もやっていた)
強く言いたいことは、偉そうに環境がどうとかそういう問題を唱えるつもりは一切ないということだ。
僕が着目するのは、「拾う人間がいる」ということ。
毎日毎日ボランティアでゴミを拾う人がいる。同じ血が通った人間が、街を綺麗にしてくれている。そのアナログの時間を想像すると、もうポイ捨てはできない。はずだ。

僕に近しい人間が、ポイ捨てをしない、更に自分が出したわけではないゴミを片付けるような感覚をもっていることを非常に嬉しく思い、見習おうと思った。のだった。

話は変わり、

最近絵が楽しい。
やっぱり一番没頭できる趣味である。まだまだはじめたてのデジタル水彩。楽しすぎて注意をしなけれないけない。「毎日一時間かけて絵を一枚かく」という目標であったが、三時間もかけてしまった。
一時間では大した手間もかけられないことも事実。非常にむずかしい。
そういうときはレオナルドダヴィンチを頭に浮かべる。
彼は生涯残した絵が圧倒的に少ないことで有名だ。
勿論画家だけではなく他の活動をしていたということも重大な要因だがそれとは別として、
「一つ一つの作品にかける時間が膨大だった」というのがある。この事実がぼくにとって難しい。ずっと芸術に触れて生きていきたい。先人たちにリスペクトを払って、それでも自分の道をみつけなければならない。数を作る。時間を一つにかける。どちらも間違っていない。僕はどちらの選択をすべきだろう。膨大な時間をかけるといえば、人間あそびがそうだ(まあ映画をサクっと作ることは不可能だが。)

とりあえずやってみよう。そこは自分の良点だとおもう。
日々変わっていこう。